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鎮守の杜を守る会の舞台裏

大阪北摂の千里にある上新田天神社。 その鎮守の杜を守る会にまつわるよしなし事を不定期で綴って行きます。

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初めに

大阪・千里にある上新田集落。
大阪が豊臣家滅亡の悲嘆にくれる大坂夏の陣の翌年・元和二年(1616年)に幕府代官間宮三郎右衛門によって村を拓かれた約400年の歴史を持つ集落です。
この集落を開村以来見守り続けてきた村の鎮守、集落の人間の崇敬を集めてきたこの社が、開発の為にその姿を変えようとしております。

千里地域といえば、「もはや戦後ではない」というスローガンを元に高度経済成長時代の象徴として、また大阪周辺の住宅事情に応じる形で千里ニュータウンというニュータウン計画が推し進められてきた地域です。
ただ、上新田地区等のいくつかの地域はそのニュータウン計画の除外を受け、旧来の景観を留め保存されてきました。
そのお陰もあり、いくつかの豊中市の文化財指定をされた建物を初め、地域の景観風習が残る良地として今も続いております。

上新田天神社もそういうものの一つで、貞享三年(1686)に建立された現在の本殿(創祀後70年程度で本殿拡大をされた事を見ても、集落の人々の多大な尊崇と当地の発展が見て取れます)、そして神社後背に広がる豊かな鎮守の杜が保存されてきました。


発端は、どうやらその鎮守の杜が個人所有となっていたところから始まります。
といっても、この辺りの地権関係は非常に入り組んでいて、神社の所有地と旧村の共有の持ち物である財産区、そして個人所有地という形で存在していたようです。
特に財産区に関しては現在でもその範囲が曖昧で、神社との境界や個人所有地との境界も判りにくいものとなっているようです。(この辺りに訴訟余地があると見て動いていた方が居るようにも伺っています)
そこに降って沸いた再開発の話。
モノレールの千里中央駅より10分足らずで存在する手付かずの山林。
ある種、古くからの千里の景観を留めていたその広大な竹林がマンションデベロッパーには宝の山に見えたのでしょうか。
大手の開発会社が動き出します。

(次回に続きます)

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