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鎮守の杜を守る会の舞台裏

大阪北摂の千里にある上新田天神社。 その鎮守の杜を守る会にまつわるよしなし事を不定期で綴って行きます。

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覆面の巡拝者・・・

わざわざ舞台裏という形にして、こそこそとブログなど綴っていってますので、背景説明の後は砕けた感じで続けていこうと思います。

で、キャスト紹介という形式でメンバー紹介でもしていきます。

まず私ことosoumenについて
性別:男
年齢:不詳
出身:大阪府
趣味:神社参拝で、今は旧攝津国の神社を徒歩巡拝中

事務局長、事務局次長やその他の方の華々しい肩書きに恐縮し、
語るほどの者ではないですとばかりに個人的な事は殆ど語りません。
なので、メンバーから、この人は何者?扱いされることもしばしば。
その割りに頭に浮かんだ事は何の躊躇もせずにべらべら喋るKYさも持ち合わせてます。
(だから余計にこの人何者?扱いなんです)
ほぼ初期メンバー同然なので、なんだかんだで顔を出していたりします。
恐らくメンバー中最年少かそれに近い若造です。(と、思っています。)
街頭活動中はたまにマイクを握りますが、喋ることが思いつかない時は壊れたレコード状態になるのですが、
エンジンが掛かるとどうでもいい事を喋り始めます。(困ったものです。)
ブログなんて書いてる割に相変わらず個人的な内容は極力抑えてる(つもりの)変わり者です。
会計就任を打診されましたが、「とりあえず覆面で」と名前が出るのを固辞してたりします。

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上新田の景観を守る会(上新田の鎮守の杜を守る会)とその主張

上新田の景観を守る会(上新田の鎮守の杜を守る会)とはどういう組織か。
今日はその辺りからお話させて頂きます。

私たちがこの会を結成する前には、上新田天神社の宮司並びに総代会を中心としたマンション建設反対運動が起こっておりました。
彼等は上新田地区の住人(の一部)でこの問題に対する反対運動を起こしており、署名運動の呼び掛け並びにマスコミ対応(MBS(毎日放送)の番組などに出演する等、精力的に活動されてはおりました。
しかしながら、その一方、業者に土地を売った方や自治会として業者サイドと融和的に対応する方々も当然この上新田地区に居住されております。
古い集落の中での話ですので、そういう方達同士で顔を合わせる機会もあり、なかなか思い切った行動を取る事が難しい状況に成ってまいります。
豊中市の建築許可が下りるかどうかの非常に差し迫った時期、反対運動が岐路を迎える時期でした。

2012/7/21に行われた神社主催の「上新田天神社景観保全祈願祭」が一つの節目になったかと思います。

神社・総代会と切り離した住民運動の任意団体を結成し、地域・地縁・利害関係に縛られない立場よりこの反対運動を行う。
こういう形を取る事によって、集落内の関係に配慮せず、また集落の住民間の対立を避け、直接業者や行政に対してアプローチを取る。
天神社並びに宮司とは相互に協力する態勢を取りつつ、別組織として各々独自の行動を取れる形式での組織を形成していく。
この様な方向性を祈願祭の後の懇親会にて決定いたします。

こういう形式で組織を作った事によって、色々なしがらみを脱し、路上等でこの「ロジュマン千里中央」とその計画を推進する関西電力子会社のMID都市開発と近鉄子会社の近鉄不動産の事を皆様方に訴え、積極的に署名を頂いていく事が行えるようになってまいります。


私どもの主張は非常に単純なもので、
「ロジュマン千里中央というマンションが、千里の氏神の上新田天神社の長年守り受け継いできた景観を損なう事を許せない。」
「ロジュマン千里中央というマンションの建設を進めているMID都市開発並びに近鉄不動産等の関連会社が、景観や神社並びにその氏子崇敬者に配慮するように希望する。」
という二点です。

そして、それを実現する為の提案として「現在12階建てのマンション計画を、神社の景観を損なわない高さ、具体的には7階建て程度まで下げて欲しい。」と、我々の希望を訴え続けています。

ロジュマン千里中央計画

大阪府の千里地域に残る緑豊かな上新田地域。
鎮守の杜として、そして地域の人々が千里中央に抜ける落ち着いた竹の小道を有する手付かずの竹林。
周辺のマンションでも、この上新田の天神社の鎮守の杜の自然やその景観を売りにしていた様で、上新田の旧集落の方や周辺に新たに住んだ人達の絶好の散歩道として親しまれていたようです。

この場所に再開発という名の破壊が待っているとは、数年前には予想する方は少なかったかと思います。

南側に接する天神社の宮司さんも、計画から行政の許可があまりにもスムーズに進むあまり有効な手を打つ間も無く、また、形式的に進んでいく行政の手続きに対して声を上げても、その声は計画当事者や行政には届かず…。

周辺環境や住民の対処の責務は、こういう大規模な高層マンション計画に於いては、業者側の責務となっているのはどの自治体も同様だと思うのですが、この場合、業者とこの上新田地区の自治会との間で…自治会代表との間で迅速に纏め上げられたようです。

このマンションにより影響を受ける天神社の宮司の意見はその段階で黙殺されます。

大金を動かす大プロジェクトですから、抱き込み易い相手を捕まえて交渉し既成事実を積み上げて行くのが有効な方法だというのはわかりますが、その道のプロが個人相手にやるには少し悪辣な気がします。
そして、書式さえ整えば進んでしまう行政手続きってのもなんだかなと。

こんな感じで推移しているのが、ロジュマン千里中央というマンションの建設計画な訳です。
関西電力の子会社であるMID都市開発、近鉄の子会社である近鉄不動産と、それなりに名が通っている企業さんのこういうやり方ってのにどうも納得がいかないなと。

そして、こういうやり方に加えて、神社の景観問題、鎮守の杜の破壊などなど色々な側面でこの問題に疑問義憤を持った人間が自然発生的に集まって反対運動が起こったわけです。

そしてその反対運動の会を「上新田天神社の鎮守の杜を守る会」または「上新田の景観を守る会」といいます。
我々の事です。

初めに

大阪・千里にある上新田集落。
大阪が豊臣家滅亡の悲嘆にくれる大坂夏の陣の翌年・元和二年(1616年)に幕府代官間宮三郎右衛門によって村を拓かれた約400年の歴史を持つ集落です。
この集落を開村以来見守り続けてきた村の鎮守、集落の人間の崇敬を集めてきたこの社が、開発の為にその姿を変えようとしております。

千里地域といえば、「もはや戦後ではない」というスローガンを元に高度経済成長時代の象徴として、また大阪周辺の住宅事情に応じる形で千里ニュータウンというニュータウン計画が推し進められてきた地域です。
ただ、上新田地区等のいくつかの地域はそのニュータウン計画の除外を受け、旧来の景観を留め保存されてきました。
そのお陰もあり、いくつかの豊中市の文化財指定をされた建物を初め、地域の景観風習が残る良地として今も続いております。

上新田天神社もそういうものの一つで、貞享三年(1686)に建立された現在の本殿(創祀後70年程度で本殿拡大をされた事を見ても、集落の人々の多大な尊崇と当地の発展が見て取れます)、そして神社後背に広がる豊かな鎮守の杜が保存されてきました。


発端は、どうやらその鎮守の杜が個人所有となっていたところから始まります。
といっても、この辺りの地権関係は非常に入り組んでいて、神社の所有地と旧村の共有の持ち物である財産区、そして個人所有地という形で存在していたようです。
特に財産区に関しては現在でもその範囲が曖昧で、神社との境界や個人所有地との境界も判りにくいものとなっているようです。(この辺りに訴訟余地があると見て動いていた方が居るようにも伺っています)
そこに降って沸いた再開発の話。
モノレールの千里中央駅より10分足らずで存在する手付かずの山林。
ある種、古くからの千里の景観を留めていたその広大な竹林がマンションデベロッパーには宝の山に見えたのでしょうか。
大手の開発会社が動き出します。

(次回に続きます)

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