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鎮守の杜を守る会の舞台裏

大阪北摂の千里にある上新田天神社。 その鎮守の杜を守る会にまつわるよしなし事を不定期で綴って行きます。

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上新田の歴史は・・・

「上新田の歴史は400年前に遡ります」
上新田地域や天神社のご紹介をする際に私などがよく使っているフレーズです。
文献上や当地の伝承などでは幕府の許可によって当地が約400年前から新田開拓された土地である事は明らかなのですが、それ以前はどうか。

私個人の拙い考えであったのですが、”天神社”という社号から今の菅原道真公がお祀りされる前に何某かの天津神をお祀りする社があったのではという妄想に近い不確かな推測を持っていたりしました。
土地開闢の開発神として新田開拓地に菅原道真公(天満天神・天神様)を勧請する事はよくある事で、中世には盛んに行われています。
同時代や江戸の後半等で大阪湾埋め立て干拓の新田地などで、天満宮が創建されているのはそういうパターンです。
(新田地の守護神として力の強い農業神として菅原道真公やお稲荷さんを、開発神として素盞嗚尊や八幡大神等、まあいくつかのパターンがあるうちの一つですね)

そういう中で、”天神社”という社号はどういう位置付けかという話ですが・・・。
始めから天満天神(菅原道真公)を勧請して創建された社は天満宮として祀られる事が多い気がします。
天神社の場合は天津神(あまつかみ)のどなたかをお祀りする社であって、菅原道真公がご祭神の場合、元々在った社に乗っかる形で祭られる、もしくは上書きされる事があるのですね。
新田開発と共に菅原道真公が勧請されたようなので、それ以前に元々何某かのお社があった可能性が。
「確信は無いけど、何かあるかも」と思ってたんです。

歴史学や神道学については素人同然の理系頭の発想ですから、寝言レベルだったのですが・・・。
どうやらど素人の直感が当たるかもしれません。

その鍵はもしかしたら、今のロジュマン千里中央の建設地やその周辺の残された山林、他の計画範囲内に埋まっているかも。
そういう風に繋がるかもしれない話をちょっと小耳に挟みました。

長くなりましたのでこの辺りはいずれ記事を改めて。


「ロジュマン千里中央というマンションが、千里の氏神の上新田天神社の長年守り受け継いできた景観を損なう事を許せない。」
「ロジュマン千里中央というマンションの建設を進めているMID都市開発並びに近鉄不動産等の関連会社が、将来の子供達の為にも神社とその周辺の景観に配慮するように希望する。」

何度も何度も訴えかけておりますこの言葉が、関係者の人達に届きますように。

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