「お天道様が見ているよ」「お天道さんが見てはるよ」
最近聞かれなくなった昔からの言い回しです。
功利拝金主義が蔓延する社会の中でお天道様が見えなくなってしまっているのでしょうか。
躾の場面でも本当にこういう言い回しが減ったように伺っています。
ところで、浄土宗の宗祖である法然上人の歌に
「月影のいたらぬ里はなけれども眺むる人の心にぞすむ」
というものがあります。
宗歌として、そして宗門学校の校歌としても採用されている浄土宗では有名な歌です(甲子園でも幾度か流れてたりもします)。
阿弥陀仏の光明(慈愛の心)を月の光になぞらえ、受け手が見ようとしなければ気付かないし、受け手の心持によってはたとえそれが新月であろうとも心に映る。
故、一心に念仏しなさいと続く訳ですが…。
浄土宗の教義信仰は別にして、神仏の恩恵・警鐘、人から発せられる思いや感情等、受け手の目が曇っているとなかなか感じ取れないものです。
特に拝金・我欲辺りは特に目を曇らせます。
一度心を落ち着けて自らの心に目を向けてみては如何でしょうか。
各々心の中にお天道様を持っているはずです。
曇りを取り払い真摯に問いかける事で、「何をすべきか」「何をすべきでないか」が見えてくるかもしれません。
地位や名誉が金や権力で自由にされ、世俗から切り離された宗教界の地位ですらそういうものに左右されていた時代。
上は下を省みず、下は生きるのに必死で周囲を省みる余裕が無い。
そういう時代に、法然は衆人を救う為に苦悩を続け、結果、浄土宗を開きました。
もしかすると、現代は当時と同じ病魔に、いやもっと深刻な状態になっているのかもしれません。
近鉄の山口会長もそう思いませんか?
神職としての山口氏はそう思いませんか?
「ロジュマン千里中央というマンションが、千里の氏神の上新田天神社の長年守り受け継いできた景観を損なう事を許せない。」
「ロジュマン千里中央というマンションの建設を進めているMID都市開発並びに近鉄不動産等の関連会社が、将来の子供達の為にも神社とその周辺の景観に配慮するように希望する。」
何度も何度も訴えかけておりますこの言葉が、関係者の人達に届きますように。